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2007年12月26日

リングノートとホワイトボード:一人ブレスト

このところアイデアの出し方/まとめ方について書いたエントリを
続けて目にすることがありました。
さらっと引用して紹介してみると

頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない:DESIGN IT! w/LOVE

心の内と外側の世界は簡単には行き来できない。それが普通の人だから。

だとすれば、普通でない状態、簡単には行き来できない「心の内と外側の世界」を瞬間的につなげられる回路をもった状態にするには、なにがしかの訓練によってそれを身体に叩き込むしかありません。

MORI LOG ACADEMY: 本当に考えたの?

このまえ、雑誌のインタビューで、「タイトルをどうやって考えるのか?」と質問された。どうやって考えるのか、というようなことが言葉で「こんなふうです」と説明できるとはとても思えないが、「まあ、そうですね、3カ月くらいかけて、200や300の案を考えて、そこから絞り込みます」と答えたら、驚かれた。
 「考える」という言葉を非常に安易に使っている人が多いと思う。学生に「考えてきたか?」と尋ねると、「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」と言う。「じゃあ、悪い案を幾つか見せなさい」と言うと、きょとんとした顔で、「いえ、悪い案も思いついていません」と言う。「考えましたが、まだ、ちょっとまとまらなくて」と言うから、「では、まとまらないものを見せて下さい」と言っても、たいてい見せてもらえない。
 こういうのは、僕の場合「考えた」とはいわないのである。
(中略)
沢山の具体案を考えることは、無駄なようでけっして無駄ではない。採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。

Fw:本当に考えたの?(それは「考えた」と言わない。):DESIGN IT! w/LOVE

「考える」ということは2段階で行う
つまり、「考える」ということには以下の2段階があるということです。

1. 小さなアウトプットを重ねて穴=自分が何がわかっていないかを可視化する
2. 問題が穴埋め問題に変換できたところで最終的な解決を導き出す


たいていの人は問題はこうやって2段階で「考える」のだということを知りません。それで一気に最終的な解決案を導き出そうとして「できません」なんて言う。でも、そんなのできるわけない。あの森博嗣さんだって小説のタイトルを「考える」のに「200や300の案を考えて、そこから絞り込みます」って言うんだからさ。

ダメなアウトプットを恥ずかしがって出そうとしないから何にも前に進まないんじゃないでしょうか? そういう人には「考える」って頭を使うことじゃなく手を使うことですよって言いたい。「考える」のは頭じゃなくて、目の前の紙と手の組み合わせなんだって。

fumi読む月日重ねつつ: アイデアとロジックは共存しない

企画に求められる能力について、3つあると指摘しています。それが、「アイデア」「ロジック」「取捨選択」です。しかも、これらの能力は、別々に発揮しなければならないと指摘しています。それぞれ「発散」「集約」「合理」。これらは同時に発揮させようとすると混乱してしまう。だから、時間を区切って作業する必要があると指摘しています。

サイボウズコミュニティ - 過去のエントリー - 【連載『知識創発のすすめ』】第 4 回 「発散&集約」

代表的な方法としてよく知られているのは「ブレーンストーミング(以下ブレスト)」である。テーマを設定し,人の意見を否定しない形でどんどんアイデアを出していく。この時に前回まで話したように,綿密なリサーチと仮説。そしてアイデアが生み出しやすい可視化ができていればブレストはさらにうまくいくことであろう。
(中略)
もちろん意見は全て全員で見られるようにホワイトボードなりに可視化する。

このような感じ。
これらを通じて流れているテーマは
・とりあえず頭の中から出して可視化すること
・可能な限りたくさん出すこと
・その後それを集めて、さらに取捨選択する
・そしてひとつの案にまとめていく
といった流れなのかなと。

そこで自分が普段やっていることを思い返すと
そこそこ理にかなったことをやっているんだなと
思い至ったので私の方法を紹介してみます。

20071220.jpg
このノートはいったい何かと言うと
私が今の会社に入った2004年4月から今日までに
使い続けてきたリングノート(A5)です。
今で11冊、だいたい4ヶ月で1冊ペース。
実際は前の会社のときから同じ大きさのノートを
使っていて、それも5,6冊は残っています。
たいていの手帳だとどうしてもサイズが小さすぎて
僕にはA5サイズぐらいが最低レベル。
最適なのは無印のリングノートで
理由としては罫線が目立たないこと。
罫線が濃いと、どうしてもその「整理しろ」という
アフォーダンスに負けてしまう気がして
手書きのよさである、図や矢印や○で囲う等々の
自由度を雰囲気として制限してしまう気がするのです。
濃い罫線はノイズでしかありません。
かといって真っ白だとそれはそれでカオスなので
無印リングノートレベルの薄いガイドが最適。

このノートに何を書いているかというと
・仕事上必要なメモ
・会議やうちあわせの議事録メモ
・移動中等に思いついたメモ
・読書中に思いついたメモ
・サービス等の仕様や概略の図
・カンファレンスやセミナーのメモ
等々

基本的に仕事に関係することならなんでも書いています。
昔はただそれだけで終わっていたのですが
最近はじめたのが一人ブレスト。
#一人合宿とも呼んでます。

大きなホワイトボードを使いたいので会議室にこもって
過去のノートをずっと読み返します。
テーマに関係あるところをずらずらと乱雑に
ホワイトボードに転記。
全部写し終わったところで、それらを眺めて
関係性を図示してみたり、赤や青で囲ってみたり
新たな思いつきを書いてみたりします。

と、その後またそれらをある程度系統立てて整理し
リングノートにまとめとしてメモしていくのです。

こういう行動を何度か繰り返していくことで
2年前の思いつきと昨日の思いつきがリンクしたり
3年前の雑なアイデアが、今日のコンセプトに発展したり
といったことが起こります。
という意味での一人ブレストです。
昨日の自分と今日の自分ですら別人ですからね。
2年前に思いつけることが、立場や状況の変わった今では
とてもじゃないけど思いつけなかったりします。
人間はリニアに進歩しているわけではなくて
ある面では退化していたり、麻痺したりするものです。

こういう行動を繰り返し繰り返し行うことで
アイデアをコンセプトといえるような形に
まとめることができるんじゃないかと思います。

頭にぽっと浮かんだ思いつきの時点で
誰もが納得できるようなロジックを備えていることなんて
正直相当稀な話だと思うんですよね。
そういうこともあって、この一人ブレストはけっこう
役に立ちますし、お勧めしたいところです。
ただ、そのためには日々のメモが必要なんですが
メモでも走り書きでも一言でも愚痴でも
なんでも頭の外に出しておけば
違うコンテキストで眺めたときに
インスパイアされることもあると思いますよ。
外に出さない思いつきは腐って流れていくだけです。

前の会社から通算して7年ぐらい続けている習慣なので
ノートがないと不安なぐらいですが
その場合は携帯で自分宛にメールしたりもします。
でも、携帯だと思いつきの速度にタイプが追いつかないので
手書きがベストですね。

そういう意味でtumblrで言葉の断片をpostしていくのも
僕にとってはリングノートに近い行動パターンだと感じていますが
SBMやtumblrをここにどう絡めて行くかは今後の課題だと思っています。

投稿者 kengochi : 01:30

2007年05月09日

wired/twitter

あー、twitterってwiredな感覚なんだ。
なんか急に気がついた。

情報が少ないとwiredな感覚にはならない。
情報が多すぎるとwiredな状態が息苦しくなる。

話は変わるけど、その適度な情報流通量をどうコントロールできるか
ってところが、この手のインターフェイスの難しいところだな。

mixiもマイミクが500人とか越えると
最新日記がさくさく流れすぎてよくわからなくなって
流し読みすらしなくなって、どうでもいいリストに成り下がる。

twitterも自分がアクセスするペースと
投稿量/流通量のペースが一致しなくなると
たぶん見なくなっていく。
ほんとは「つぶやき」だったり「今何してる」だったり
メッセンジャーの@以降の代わりだったりしたものが
そのうちなんだかmixiの最新日記の細切れ版のようなものに
なんとなくなってきてる気がする。
もちろん当然のように使い方にも受け取り方にも個人差があるし
この見方がどの程度の人にあてはまるのかわからないけど
流通量の適正値を見つけるのは難しい。

bot投稿的なものが増えたらたぶんremoveしちゃうなぁ。

投稿者 kengochi : 11:11

2007年05月08日

話の肴をまいて歩く

広告β:コミュニケーションの本質を垣間見た

思うに、BlogやSNS、最近ならTwitterも立派に「肴」の要素を
持っていると思う。でも同時に、まだ何か足りない気もする。

コミュニケーションの肴というので思い出すのは
犬を飼ってる人同士の会話とか、赤ちゃん連れ同士の会話とか。

自分は最近引っ越したけど、近所の人と仲良くなれるかどうかってところに
子供が媒介として果たす役割はものすごく大きい。
双方が仲良くなりたいなぁって思ってるとしても
「仲良くしてくださいね!」「どこから引っ越してこられたんですか?」
「趣味はなんですか?」なんて話そうものなら、きっとひかれるし
自分が聞かれる立場だったとしてもひくと思う。
え、、、大丈夫かなこの人、、って。
それはきっと通常そういうずかずかと入ってくる人には
営業だったり宗教だったりっていう何らかの魂胆があるに違いない
という認識がされてしまうからではないかとも思うけど
何にしても不自然なことには変わりない。
媒介がなければけっこう時間がかかるかもしれないし
あるとき偶然に何かの共通点が見つかって、、、というのを待つぐらいか。

異業種交流会みたいな場で話をつなぐのって
まさにその共通点を見つける作業のような気がする。

ブログが流行りだしたころに
「ブログとは自分の本棚を背負ってパーティに行くようなものだ」
みたいな表現があったんだけれども「本棚=自分の興味範囲」
という意味で、肴を見せびらかしながら歩いてるような感じ。
twitterもmixiもLast.FMなんかも基本そういうところかなと思っていて
普段可視化されていない興味や性格をオープンにすることによって
自分に対する話のきっかけを、肴をまいてるようなものじゃないかと。

自分の世界を広げる、というほどたいそうなものではなくても
適度に聞こえるレベルでの独り言を公開している
みたいな感覚は、ブログにもmixiにもtwitterにもあるなぁ。
それぞれの気構えと範囲と重要度は違ったりするんだけど。

投稿者 kengochi : 11:02

2007年02月01日

人気が出るほど価格が上がるビジネスモデル

広告β:人気が出るほど価格が上がるビジネスモデル

通常の商品は、売れれば売れるほど、減価償却や規模の経済が働いて、
価格が下がっていくということになっている。それで、もっと売れていく。

この話で思い出した事がひとつ。
前の会社の上司が東南アジアを旅行していた時に
屋台のようなところでTシャツを買った。
あんまり安いので同じものをさらに買おうとしたところ
さっきより高い値段を提示されたと。
「おいおい、たくさん買うお客には割引するのが普通じゃないのか」
的な話をしたところ
「お前はたくさん欲しがる客だ。だから2つ目以上は高くなる。」
相互の言葉の問題もあってそのぐらいだったようだけれど
結局値引きはしてくれず、上司は釈然としないまま買ったのか買わなかったのか
そこは忘れてしまった。この話を聞いた時には
へー、そういう考え方もあるんだな、ぐらいにしか思わなかったけど
商品の数が限られている場合には、プレミアムがつくこともある。
元記事にあるように株価なんかはそういう価格決定なわけだし。

新しいものを買う人のリスクを評価するっていうのは
正しい考え方だなぁと思う。
PS3にしたって、たぶん最初に買った人は高い値段で買って
1、2年後には新品でも安くなっている、だろうと思う。
先物買いに魅力を感じる人がいる分野はこれでもまわるけど
そうじゃない分野だと厳しい。

価格決定のプロセスってもっと多様にできそうだなぁ。

投稿者 kengochi : 10:38

2006年11月22日

無形物に対する価値判断

広告β:アイデアにお金を払ってもらうには 広告のアイデアを通販する。 ここには、非常に深い課題とチャンスがありそうな匂いです。

アイデアにはなかなか直接的にお金をはらってもらえないという話。
確かにそうなんだよなー。
アイデアはただだと思ってんじゃないか?みたいな場面もよくある。
「ご意見聞かせてください」みたいな感じでMTGが設定されて
何時間とかあーだこーだ話して、お疲れさまでしたみたいな。
何の対価も無いのかよっていうMTGも何度か。

アイデアはただで、メディアコストと、代理店へのマージンは値段がついてる。
この話って、なんか音楽とCDの話にも似てるのかなぁって思ったり。
本来は無形物の方にこそ大きな価値があって、プラスチックの円盤それ自体は
とてもとても安かったりするんだけど、音そのものだと流通させられないから
流通させられる「形」に対して値段をつける。
ただ、その「形」が変わってしまったときに「形」にかかるコストが違ったりすると
値段が変わってきたりする。
逆に本来コストは激減するはずなのに、同じぐらいの値段を維持しようとしたりする。
そういう場面てイノベーションのジレンマみたいな
後から来た新しい立場の人達にとっての大きなチャンスだったり
元からいる古い立場の人達にとっては既得権益を失うピンチだったり。

広告βさんが仰るようにアイデアがオークション形式で価格決定されて
流通されるようになると、これまで何にお金払ってたんだっけってことも
出てくる可能性はあるよなぁ。
本来的に価値のあるものにたいしてきちんと値段がついたり
流通性能があがったりするのはきっと面白いはずだと思う。

投稿者 kengochi : 11:00

2006年07月07日

ホワイトボードがポストイットに

ITmedia Biz.ID:ホワイトボードがポストイットに

壁などに自由に貼ってホワイトボードとして使え、丸めて移動することもできる。

丸める必要は全然ないんだけど
ホワイドボードを買うと邪魔、ぐらいの壁スペースが
そのまま使えるのはいいなぁ。
買って隣にはっつけておこうかな。

勝手にホワイトボードに色々書いて考えると
話まとまるんですよね。

投稿者 kengochi : 18:56

2006年02月03日

eventful イベント共有サービス

Eventful

Discover, create and share events that matter to you.

eventful.png

イベントの共有サービス。
2.0ぽいギミック満載。

大きさがwordpressぽい登録フォームとか
submitボタンの無い初期設定ページとか
APIもちろんありとか
タグクラウドとか
google earthの連携(よくわからん)とかとかとか。

機能面よりUIに目がいきます。
おもしろいこれ。

投稿者 kengochi : 16:43 | コメント (1)

2006年02月01日

wikiとコミュニティ

経営企画室 調査日報: wiki の特徴と利用例

ここで取り上げられていたことを契機に
いろんなところで反応が出ている。
私もいくつか思うところがあったので
そのままの状態でメモっておく。

wikiはとてもラジカルで面白いアプリケーションなんだけど
一般の人が使うには後一歩二歩足りないと思う。
デザイン/インターフェイスが変われば化けそうな気はする。
miniBBSタイプの掲示板はその点秀逸で
例えばページ上部に
[タイトル][本文][名前][メールアドレス]等の入力フォームがあり
その下にそれらに対応した「発言/投稿」が時系列に並んでいる。
入力フォームに何かをいれて、ボタンをクリックすると
その後何が起こるかがわかりやすい状態になっている。

wikiはそうはいかない。
一般の人が使うには自由すぎるんじゃないかと思う。

Writeboard
wiki的でありつつ掲示板的なデザインになっていて
逆にわかりやすいなと思ったりもした。

で、つらつらと考えたりえふしんさんとメッセで議論したり
するうちにふとしたことに気がついた。

wikiはコミュニティを作るツールではなくて
コミュニティが使うツールなんじゃないかと。

wikiの成功例としてよく出てくる「まとめサイト」は
ある一定の趣味志向の人達がある一定のテーマを設定した場合。
使い道が或るていど限定されているからこそ使える。
何も無いところにwikiを持ってきてもだめなのは
テーマ設定もさることながら
その背後にある参加者としてのコミュニティが存在するかどうか
というところにあるんじゃないかなぁと思ったりした。
またしばらく考えてみよう。。。

[追記]
元の経営企画室 調査日報さんでも
コミュニティについての言及がありましたね。

投稿者 kengochi : 18:01

2005年09月25日

怠惰な一般人

あえてひと手間減らすプロのセンスと勇気:圏外からのひとこと(2005-09-22)

料理の手間とおいしさとのトレードオフにおいて、料理研究家は過剰においしさ重視の価値観を持ってしまいがちである。それは悪いことではないが、料理本のユーザの要求とはズレてしまう。ユーザは、特に日常的な毎日の料理では、手間をかけないことをおいしさと同等に重視する。

これものすごく重要な視点だなと思う。
下手に高機能化してしまってステップが増え、使い勝手の悪くなる
サービスやごてごてと機能が増えることでフォーカスが不明瞭になり
結局何につかうものだかわからなくなるサービスってよくあるような
気がするし、自分の周りでも気をつけないといけない。
プロである料理人、料理研究家が「手間ひまをかけて」おいしさを
追求するのと、一般人がある程度手間をかけないでおいしさを
求めるのとではストイックさ、本気度に大きな違いがある。
楽しておいしいものが食べたいのだ。

一般人の「未習熟」については比較的気がつきやすそうだ。
初心者向け、一般人向け、とうたうならそれは「習熟度」を
尺度にしている場合が多いと思う。
未習熟をきちんと習熟へと導くことが可能であったとしても
それに手間/コストがかかってしまう場合
それをかけてまで到達したいところなのかどうかを
吟味しないといけないな。

つまりは「未習熟」同様に一般人の「怠惰」にも
目を向けないといけないってことか。
普通の人たちは、作っている人ほどその製品のことを
愛してもいなければ本気でもない。
とてもめんどくさがりなのだ。

#でもこの前提としてターゲットの選定は必須。
 consumer相手なのか、proshumer相手なのかで全く話が違ってくる。

投稿者 kengochi : 21:09

2005年08月24日

iChatでGoogle Talkのアカウントを使える模様

google.png

Google Talk

Talk and IM with your friends for free

googleからメッセンジャーとskypeみたいなボイスチャットができる
Google talkというアプリが公開されました。
使用にはGmailのアカウントが必要です。
早速使ってみたんですが、メッセンジャーとしては普通に使えます。
ボイスチャットは思ったより音がきれいでした。
常用するかどうかは微妙。

Google Talk: Help Center

How do I configure iChat for Google Talk?

こちらを見るとiChatでGoogle Talkのアカウントを使える模様。
というかGoogle Talkってjabberプロトコルなんですね。

投稿者 kengochi : 16:22

2005年08月21日

モラルによる解決とアーキテクチャによる解決:市場・規範・法・コード

[log]作る人と使う人 - B.M.F.Diary (2005-08-18)

「日本人はモラルの問題を、アーキテクチャーで解決して欲しがる」ことの是非について話題になった

思いつきの走り書き状態だけど
とりあえず書いておく。


コメント欄があるんだから何書いてもいいだろう。
というのはアーキテクチャーのみでの判断。
でも実際普段の生活ではアーキテクチャーのみで判断したりしないケースが多い。

例えば玄関口のインターフォンはアーキテクチャーとしては
「いつでも誰でも」押せる。
でも通常は夜中だったりすると押さない。
寝てるだろうな、という推測が働くし
相手がいやがるだろうなという判断をしている。

マスコミが芸能人の家とかに押し掛けてインターフォンでの回答を
要求する構図って、ブログのコメント欄にでも見られる光景だな。


昔ネットで知り合った人とfaxでやりとりをしたことがあって
あまり深く考えずに12時過ぎとかにfaxを送って怒られたことがあった。
うちの電話は夜中留守電にしていてfaxも自動受信だったことと
メールとあまり変わりない感覚で使っていたのだけど
相手の家では夜中でもベルがなるようになってた。

アーキテクチャーに沿って行動したけれど
モラルとしては違反していた。
モラルの前提となる共通理解がとれてなかったのが原因。

モラルに期待するにはまずは共通理解が必要。
で、共通理解が難しい場合や、モラルを重視しない人が多いようであれば
アーキテクチャーによる解決を求めるほうがいいのかな。

あと、web系ではアーキテクチャーによる解決が
比較的低コストでできるっていうところもあるかも。


これってレッシグのいう
「市場・規範・法・コード」ですね。
モラルは規範。コードはアーキテクチャーだし。
スパムに対して「市場でコストを高くする」に相当する仕掛けってないかな。
考えてみる価値ありそうだ。

投稿者 kengochi : 02:32