2005年07月29日
情報に対するラベリングの主権
伊藤直也の「アルファギークのブックマーク」キーワードでも情報のつながりは表現できていたのですが、そのつながり具合は del.icio.usなどのつながりとだいぶ性質が違う、機械的で硬い繋がりでした。
naoyaさん@はてな のfolksonomyについての記事。
いつものように非常にわかりやすくまとめられています。
ただ、上に引用した部分については僕の感想と少し違ったので書いてみます。
はてなのキーワードは文章の中身を解析して単語をピックアップしています。
(よね?これが違ったら前提が違ってしまうので以下の文章は全部無意味です!)
del.icio.usや現在はてなブックマークに実装されているタグは
閲覧者が勝手につけるラベルです。
ページ内容(テキスト)からキーワードをピックアップしていくと、
情報の中身的には対して意味が無いものの
単語単体で重み付けをするとそこそこ意味のある単語があがってくることがあります。
また、キーワード抽出ということは必然的にテキストから情報を拾ってくるわけで
例えばある特定の画像に着目した場合などはテキスト内にそのラベルに
ふさわしいものがなければキーワードを拾ってくることができません。
テキスト内にある単語からしかラベルをつけることができない
という制限がはてなのキーワードには存在します。
#ロボット型検索エンジンにも似たような制限がありますが
googleの場合は被リンクのアンカーからもキーワードを拾っています。
タグの場合は閲覧者が勝手にラベルの文言を選択することができます。
テキスト内に入っていない文字列をタグ付けすることも可能なわけです。
これは情報(ページ)にラベルをつけるのが
情報(ページ)の発信者なのか閲覧者なのか
というところに一番大きな差があるんじゃないかと思っています。
#実際は発信者が直接キーワードを制御することはできませんが。
当初ははてなブックマークに対して
「キーワードじゃなくてタグにしてほしいなぁ」と思っていたわけですが
実際にタグが実装されてからは違った感想をもつようになりました。
機械的-人間的という対比よりは
「発信者主体のキーワード」
と
「閲覧者主体のタグ」
の違いなのかなと。
また、その両立というのは案外面白いなぁと最近感じています。
この記事のタイトルで「情報に対するラベリングの主権」と書いています。
記事の書き始めの時点では主権が発信者から閲覧者に移動したと思っていたのですが
「発信者にあった主権がある程度閲覧者に分散したのだ」と言えそうです。
投稿者 kengochi : 2005年07月29日 11:00